第107回香山壽夫氏(東京大学名誉教授,放送大学客員教授,聖学院大学教授)
タイトル |
香山壽夫氏 第一部 「丹下モダニズムからの逃走」 第二部「古典主義再発見とルイス・カーン」 |
日時 |
2013年12月2日(月)18:00~20:30(17:30開場) |
会場 |
こうべまちづくり会館 2階ホール |
第107回アーキテクツサロン「建築家の系譜シリーズ」の第9弾として,東京大学名誉教授の香山壽夫氏をお招きして,第一部「丹下モダニズムからの逃走」第二部「古典主義再発見とルイス・カーン」というテーマで講演いただきました.
第一部では,何故当時の東京大学のメインストリームである丹下モダニズムから距離を置き,ルイス・カーンのもとに行くことになったのか?そしてペンシルバニア大学でのエピソードなどを当時のスライドを交えて語っていただきました.第二部では,帰国後は留学中の経験を生かして実作の設計に携わっていかれ,その時に何を思い作品を創っておられたのかを自ら撮影された写真を交えて語っていただきました.
冒頭からショッキングな話題で始まります.香山氏の「丹下モダニズムからの逃走」の大きな要因は,丹下健三の大学の講義は休講が多く,内容も当時の香山氏にとっては興味深いものではなかったことにありました.その背景には当時の学生がマルクス主義への傾倒していく時勢もありましたが,「逃走」を決定づけたのはよりによって丹下健三氏の自邸であり,自邸で丹下事務所の仕事を手伝ったときにその空間は絶対的に美しいのだが,冷たく人間を包むものではないと感じたからだと.
その後,香山氏は東京を離れ,京都に滞在しながら日本建築の様式を学んでいるときにルイス・カーンの奥行きのある陰影が描かれたスケッチ見て,これだと感じ,そのきっかけでペンシルバニア大学に留学することになりました.
そして香山氏がまずアメリカで感じたのは,国としての歴史としては日本よりも浅いかもしれないが,主たる建物が開国するまでが木造であり明治以降に西洋建築が導入された日本に比べて,街並みなどは圧倒的に歴史があり,様式を重んじる国であったことでした.
カーン自身も師であるフランス人建築家のポール・クレからボザールの建築教育を学び,壁の厚さに現れるポシェを描くことでカーンの建築に特徴的な光と影の空間が創造され,そして彼の「窓は部屋になりたがっている」という言説が裏付けていたのではないかと語られました.そして,なにより印象的だったのが,人や生物の営みが連綿と続くように,ボザールのよいところを引き継ぎそして生かしていく,様式を正しく認識して次代に残していく必要があり,そして,変革そのものに価値があるのではなく,連続の中に変革があることが重要だと語られたことでした.
第二部ではまず帰国してすぐの仕事となった九州芸術工科大キャンパスや東京大学6号館の4階部分の増築,せきかわ歴史とみちの館,彩の国さいたま芸術劇場,東京大学弥生講堂など数多くのプロジェクトについて語っていただきました.第一部で聞いている「カーン」,「光と影」,「ボザール」,「様式」,「連続」などのキーワードがあると第二部での各プロジェクトの説明が違和感なくすっと頭に入ってきます.そして,驚きだったのがプロジェクトの最後に香山氏が基本設計を担当されている京都会館の再整備事業についてのお話を聞けたことでした.いろんな意見がある中で,香山氏のこれまでの講演を聞いていれば,建設当初から現代にいたるまでたくさんの人々の思いが連綿と積み重ねられてきた歴史のある京都会館への香山氏の改修計画は一つ筋が通っていて非常に説得力があるものに感じられました.
会場に来ている人達を自分の話の中にすっと引き入れ,たくさんの布石を打ち,実作を通して内容を再認識させて,最後には自らのスタンスを明示しながらも,聴いている人たちに考える機会を与えてくださった楽しい「講義」が聞けたように思えました.こんな気持ちになることも最初の丹下氏の「講義」の話でしっかり布石が打ってあったと振り返って気付いた,楽しい講演会となりました.
(山﨑康弘)
写真提供 日刊建設通信新聞社